職業は
長らくコンピュータソフトウェアの開発管理をやってきましたが、最近は、システムエンジニアをやっています。
でも、テクニカルには、本職よりバレエ写真の方が、プロに近い気がしています。
小学生の時
小学生の時にフィギアスケートを習っていましたが、小学校の担任の先生が体育の授業の時にフォークダンスばかりするので、踊りは大嫌いになってしまいました。なぜか、通知簿にはあひるさんが行進していました。
兄が高校でサッカーをやっていた事もあり、自然とテレビでワールドサッカーを見ていました。数年前にJリーグが出来た時に、そのレベルの低さに唖然としました。本当にサッカーを知っている人であれば、プロ野球と高校野球くらいの違いを見ているでしょう。
写真も親にキャノネットというカメラを買ってもらって、バシバシ撮っていました。このカメラは今から思うとよくできていました。
中学生の時
中学生の時には、バレーボール部に入りました。助走なしの垂直ジャンプ力が 96cmありました。これも、フィギアスケートでジャンプを練習していたおかげです。フィギアスケートの選手は、全てジャンプ力があると思います。バレーボールでは、フライングレシーブで胸が痛かったです。
なぜか、この頃はなんとか委員ばかりしていました。そう言えば、クラスで一番人気の女子の学級委員はクラッシックバレーをしていたらしく、その彼女が中心で学校にダンス部なるものができていたなー
また、この頃ガールフレンドが出来て、その彼女は写真部の部長だったです。
高校生の時
小学生の時から兄の影響でクラッシックギターを弾いていまして、高校になった時にギター部に入りました。中学生の時に モーツファルトの魔笛 をひけるくらいでしたが、高校生の時に柔道の練習で 指の骨を折ってからはギターは止めました。ほんのわずかで見てもわからないくらいですが、左の人差し指がちょっと曲がってからセーハができなくなったので止めました。
写真が好きで、友達にOM−1を長期に貸してもらって一眼レフに感動してバシバシ撮っていました。アルバムの中は、ガールフレンドの写真だらけになっていました。
大学生の時
その頃やっとPETとかAPPLEUが出てきた時で、将来はコンピュータ関係の会社に入って企業の中でコンピュータの先生になろうと思いまして、その方面を勉強できる その当時 日本で一番安い学費の所に入りました。(年間8万円くらいだったと思います)
そして大学時代はアルバイトで、APPLEを購入してあのモニター(OSの中核部分?)部分のアセンブルリストを読んで6502CPUの命令セットの美しさに感動しました。
大学時代は、4年生頃になってから、会社に入ったらストレス解消の為の運動をする必要があるとかで、テニスをやりはじめました。ビヨン・ボルグが大好きでした。大学を卒業する時にAPPLEを売ったお金で車の運転免許をとりました。現在のコンビュータは、それ以来の購入です。
大学生活が終わる頃、中学の時から交際していた恋人さんに、ふられまして、ショック〜でした。このショック〜という内容は、今でも、日記の中に登場してきています。
社会人になってから
大阪から上京しまして東京のコンピュータメーカに勤めました。大型から最近はWindowsのソフト開発を担当しています。社会人になってから数年は、テニスをめちゃくちゃにやりました。周りからテニスをする人が少なくなってから私もやらなくなって、1年過ぎたら体重が10kも増えちゃいました。
20代の後半に、考え方を改めて 6ヶ月間毎日10km以上走り込んで半年で14k体重を落としました。それの延長で フルマラソンにも初参加で4時間11分で走りました。折角ついた体力を落としたくはなかったので、音楽と運動がどちらも好きだったので、金光郁子舞踊学園でジャズダンスをやり始めました。ここは、歴史が古く さすがに 振り付けはすばらしいものがあります。
最近のジャズダンスは大概ヒップホップ系統に流れていますが、確かに腰より上の使い方は見るものがありますが、肝心の腰より下が全然なっていないと思います。技がない!人に魅せるという事より自分達の為に踊っているように見えます。恐らく 良い振り付け師がいないのだと思います。
20代の中頃に、やっと自分のお金で一眼レフを購入しました。東京周辺の全ての公園や観光地や撮影会や、サークルにも入り一ヶ月で平均2000枚くらい写真を撮っていました。それから、5年間くらいであらゆる写真に没頭しました。(ヌードはありませんが...)どうも私自身の写真は報道や強い主張向きではなく、どちらかと言えば雰囲気描写に特徴があるようです。でも写真に没頭すれば没頭するほど、1枚の写真が難しく思えてきます。最初の写真の方が生き生きしていたりします。
会社の関係で2年ほど神戸に転勤になり、そこでジャズダンスをやっている人にバレエもおもしろいと言われて、やり始めました。最初は 毎日同じ事の繰り返しで何がおもしろいのだろーと思っていましたが、見事にはまってしまいました。その後東京に帰ってからは、一番街に通うようになりました。なんでも トコトンのめりこんでしまう性なので、最近はあまり、面白そうな事には首を突っ込まないようにしています。男性がポールドブラだけの練習を毎週一時間を2年間くらいやるくらいです。
最近は、写真とコンピュータとバレエの融合から、写真をデジタル的に処理する事で新たな価値を創造できる事に自分でうれしく思っています。活動を初めてみると、この世界ってほんの限られた人しかやっていないらしく、まだ成熟されていない世界のようです。
バレエの写真を手にする人達とこの世界の成長に少しでも貢献できれば、私としては非常にうれしいです。バレエフォトに関しては、私のできる範囲で各種お手伝いをさせてもらっています。その写真にきっと満足してもらえると思っておりますが...
2005年12月、とうとう、売上高数兆円の社員という肩書きを捨て、退職しました。
2006年2月、有限会社PLIEを設立。
バレエフォトグラファーとして、人生をかけてみる事にしました。