あの膨大な時間はこれから…
私は東京の会社に入社すると共に、大阪実家に帰省するのは、年に2回程度になりました。
30歳になった時3年という任期の元で神戸に転勤になりましたが、実家に戻るのは、数回は増えましたがその程度です。
なを神戸では新神戸駅の前三宮にアパートを借りて住んでいました。
転勤2年で東京の方で火の噴いているプロジェクトがあった止めに、任期途中で東京に戻されてしまいました。
もし任期の3年間いたとすれば、そうですあの神戸の大震災にまともに体験していた事になっていました。北総が翁です。
そして、結局は母が4年前に圧迫骨折から認知証を発症してから、ほぼ1ヶ月に1回以上のペースで実家(埼玉から大阪へ)に帰るようになりました。
その中で母の介護の手続き等一切の親族としての手続きを行ってきました。
入院数回、老人ホームも2回の転居。
その度毎に、一週間に2回程度大阪に訪問していました。
私としては、母の対応がしんどいとか思った事はなく、淡々と子供のやるべき事を遂行していただけです。
認知証というのは、とりわけ、本人自身が正しいと思っている限り、認知証のレベルが他人に影響を及ぼす事が大きくなってきます。
認知証の私の認識は、人間の心は理性と感情によって構成されています。
認知証になると、その理性の部分が崩壊してくる事で、感情面が大きくなってくるように認識しました。
2013年の暮れから2014年初頭までは、今更ながらとても厳しい対応でした。
私自身が2013年12月の初めに、尿管結石、右足の動脈の閉塞、冠状上動脈の閉塞が一気にわかり、その対処の中で、仕事、母の対応をせざるを得なかった事は、とんでもない事でした。
約1ヶ月間で3つの手術、3つの仕事、それに母親の老人ホームの転居。
母には私の身体の事など言えません。
心臓の手術をするなどと言えば、大きな心配をさせるだけで何もメリットがありませんでした。
それ以降も老人ホームの退去や、入院など含めて、埼玉から大阪に駆けつけて色々な対応をやってきて、今からすると、多大な工数を消費していました。
これからは、そういう工数をとらなくて良くなり、そういう工数を他に割り振る事ができるようになりました。
これからが、私の第2の人生のような気もしています。
2017年1月29日