生きている事に思う事
以前にも書いたが、私と同学年知人達が一斉に還暦を迎えようとしている。
自分も昔は考えた事はなかったが、最近よく思う事がある。
会社勤めを長くしてきた人達。
会社以外で人生を過ごす事がどうもできなくなりつつあるように見える。
それって悲しい事だと思う。
年金が出るまでは金銭的な事が不安な為、それまでは仕事をしようとしている事。
本当は、自分への言い訳であって、実の所は現在の会社を辞めた場合、個人として生活を充実させる事ができないと言うファクターが強いと推定している。
いやしくも日本の大会社で40年近く働いてきて数年レベルの金銭の事が理由で働く事はほとんどないと思っている。
結局の所、膨大な自由時間に対して生きがいを見いだせない。
と言う悲しい事が起こっているのだが、それに真剣に目を向けようとしていない。
また年金のもらえる後4年あるいは3年働いてから、仕事をやめにて悠々自適に暮らしたいと思っているのかも知れない。
そこに大きな落とし穴があると思う。
高年齢化するばするほど、新しい事に対する挑戦意識や考える力は、年々顕著に衰えがちになる事に気がついていない。
健康の事に真剣に考えていないように思える。
「少し位健康診断でアラームはあるが、昨日までなんともなく生きてきた。
明日もこの状態で生きて行ける」
という考え方しかできない人達が大半。これが1番の誤り。
同じアラームでも、自分の年齢に伴う体力等の内部年齢は自分が思っている以上に低下している事に気がついていない。
この事は、同じ運動を若い時から行っていた場合には、それを感じられる人は多いと思う。特に身体の物理的な肉体年齢の低下以上に、多くは、身体を動かす頭の方の低下が著しいのが本当なのだが。
物の話しで、剣の達人は老後には剣を持たずして相手に勝つような。
笑い話だが、お鍋のフタで剣を交わすなどと言った事。
この域になれば頭の老いによる低下は少ないと思えるが、達人のレベルでない人達は、やはり身体を動かす事で、頭も鍛えるという事が必要と考える。
私は自分の同年代の中ではよく運動している方だと思う。
しかし実態は、身体の運動能力以上に頭の基礎トレーニングだと言う意識の方が強い。特にバレエのアレグロなどはそのものずばりのトレーニングである。
同世代の人達には、自分の運動的、思考的能力の限界を感じられるトレーニングをするのが益々重要になっている事に目を向けて欲しい。
今までの会社を退職して別な会社で働く。
それで自分がステップするような内容であれば良いと思うが、そうではないと推測する。これからの年齢を生きる意味大切さを家族のいる人達は、理解してもらって、生きて欲しい。
人生短し。
より健康的に自分の今を見つめて欲しい。
2018年8月3日