バレエコンクール
結構昔からバレエコンクールをよく観ていました。
どんなスポーツでもそうですが、自分の視点によって、見えてくる物が変わってきます。
プロスポーツでも、一流選手が他の選手の動きを見た場合に、その選手がわからない所まで見えて来る事はよくあります。
私も、歳と共に自分の視点が変わり同じ物を見ても、感じたり、見えて来るものが違ってきたりする事をよく感じています。
埼玉舞踊コンクールのシニア決戦を見てきました。
シニアでコンクールに出るフェーズは、それより若い人達と審査内容が変わってくるとも言われています。
ある先生の審査観点では、シニアでコンクールに出る人達は、既にそれぞれのお教室の発表会では、主役たる人達なので、その演技が実際の舞台の中で踊った時に、それに適合しているかどうかという視点があるそうです。
コンクールというたかが数分の中で、全幕物の一部のバリエーションを踊って全てを発揮するのてはとても難しい事です。
全幕物という流れのある中で踊るのと、コンクールという流れのない所で、バリエーションを踊るのでは相当な違いがあります。
最近自分のバレエに対する視点が変わってきたのは、バレエコンクールと言えど、それは、オリンピックで一か八かの技術を競うものではないという事です。
バレエには基本的なパがありますが、50種類もないようなものです。
またそれらパはバレエに携わっている以上永遠に同じ事をやっている物です。
バレエコンクールの審査観点の一つの本質は、その基礎的なパがどれだけ精度高く出来上がっているかという事です。
もちろんそれが基礎であり、そういう基礎的なパが精度高く、その上で構築された踊り、表現が必要なのです。
踊りや表現が先行するものではありません。
バレエコンクールとはそういものなのです。
例えば、5番パッセ一つとっても、揺るがない完全にバランスのとれた可能な限りアンドオールされた物など、とても少ないのです。
極端な話、ポアントアラベスクが出来るかどうかなど見なくても、5番パッセでフルポアントで揺るがず立てるかどうかを見ただけで、その人の全ての実力が推し量られてしまいます。
そんなパなど、数千回、数万回レッスンで行っているはずですが、結局は、レッスンの時の精度を自分で常に改善しているかどうか。
それが結局は、コンクールで総合的に判断されている事を、コンクールに出ている人達は、どうもわかっていないように思えます。
バレエコンクールの技術は、基礎的なパをその年代年代によって熟成されておかなければなりません。終わりのない技量なのです。
15番エスメラルダ
とても生き生きとした表情と共に技術的に緩みが少ないものでした。
特に全ての回転で、決戦の中で一番明確に顔が一回転毎にきれている事が見えるものでした。これは、バレエ審査員にとっては、とても好感が持てる回転技量だと思えます。
ピルエットは回転できるだけでは評価なしだと思えます。
どれだけ揺るぎのない回転をしているかという事が見えなければなりません。
ダブルで良いので、完全に首がきれて回れている事、基本に忠実な技術が見ている事がポイントだと思います。
33番ジゼル
シニアがよく踊るバリエーションですが、踊りの全てが、とてもつながりがよく、一つ一つのパに不安な所が全くありませんし、背景があれば、それでジゼルそのものだったように思えます。
全てを通じて、たとえば、アラベスクや、デリエールアチチュードでフルポアントで立った時に、少しブレのある人達がかなり多いのですが、それは全て私的にはアウトです。
例えば音符を歌う場合に、音符以外のよけいな音がついていたら、それがおかしいのは当然なのです。
これは、それを知らずに指導している人達の方に問題があるように思えます。
どんなパも精度高くするという事。
だいたい、高校生くらいまでに踊れるようになってしまうと、それ以降は精度を求めるという所にダンサーの視点が行きがたくなっているように感じています。
2019年8月1日